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「前田高地」激戦の片鱗をみる

前田高地の戦闘は書籍や資料、動画、写真などから知ることができます。膨大な資料すべてに目を通すことは不可能ですが、私たちガイドが大切にしていることは、戦争を体験した方々の記録です。

「なぜ、前田高地が激戦地になったのか」。自分自身に問います。
アメリカ軍は総兵力548,000人、日本軍は約110,000人(うち30%は沖縄県民から徴収)。兵力も物資もアメリカ軍との差は明らか。にも関わらず、激戦になりました。
日米の戦力が拮抗した時期、ゆえに「血みどろの戦い」「地獄絵」「ありったけの地獄をひとつにまとめたような」と表現される死闘が、司令部のあった首里が目と鼻の先の前田高地で繰り返されたのです。
アメリカ軍は艦砲射撃と空爆そして地上部隊とを巧みに連携させた攻撃体制をとり、海と空の猛攻の間、日本軍は陣地壕などに身を潜めアメリカ兵が高地台上に現れるのを待ちます。そして壕から一斉に飛び出し、銃弾も手りゅう弾も尽き果て、礫も投げるほどの決死の攻撃で応えていくのです。

以上は、前田高地戦闘を記したある手記から読みとったものです。激戦の時期はちょうど現在のゴールデンウイークと重なります。
なぜ、「前田高地」が激戦地になったのか
「前田高地平和の碑」は第24師団第32連隊第2大隊(志村隊)の慰霊碑です。失った多くの戦友との「心の絆の証」と「恒久平和」を願って建立されました。
毎年の慰霊の日、キンザー(米軍基地の児童や父母の方々が、掃除道具をもって駆けつけ、千羽鶴を手向けてくださいます。

令和6年3月17日(日)に、「前田高地の戦跡巡り」を実施します。
前田高地をじっくり歩かれてください。ご参加をお待ちしています。


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NPO法人 うらおそい歴史ガイド友の会
(浦添グスク・ようどれ館内)
TEL・FAX:098-874-9345
e-mail : urasoerekisi@nirai.ne.jp
開館時間:9時~17時
休 館 日 :月曜(祝祭日の場合は開館)
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Posted by 特定非営利活動(NPO)法人うらおそい歴史ガイド友の会 at 11:38│Comments(0)平和学習浦添グスクイベント
 
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