てぃーだブログ › 浦添グスクようどれ › 研修・養成 › 研修を受けました!

2025年04月06日

研修を受けました!

島添大里グスク 山南王の拠点を見る
毎年一度私たちうらおそい歴史ガイド友の会を対象に、「ガイド育成研修」が実施されています。
今年は山南王の拠点、島添大里グスクでした。
講師は山本正昭先生 沖縄県立博物館美術館・主任学芸員です。
山本先生が語られるお話によって、私たちはいつの間にか歴史のロマンの中に引き込まれていました。
ありがとうございました!

島添大里グスクとは三山時代(14世紀から15世紀前半)、本島最南端を領域とした承察度、汪英紫、汪応祖、達勃期、他魯毎と5代にわたる山南王が君臨していたグスクです。1402年、山南は三山統一をめざす尚巴志によって落されてしまいます。ふたつの歴史が垣間見える、大規模なグスクとして、私達の興味を掻き立てるグスクのひとつでありました。

研修を受けました!
研修開始前から、ワクワク!

研修を受けました!
主郭南側城壁が残されています。野面積みです。

研修を受けました!
ここに正殿がありました。大きな礎石が残されています。

研修を受けました!
正殿の柱を支えていた礎石。かつて、この正殿で冊封の儀式が行われたのでしょうか……

研修を受けました!
正殿跡から物台跡へ。浦添グスクが見えるかな。ワカレジーが見えるかな。

研修を受けました!
山本先生のお話は、一言も聞き逃してはもったいない。そして足元要注意です。

研修を受けました!
グスク内には御嶽やカーが多く残されています。

研修を受けました!
城壁に添うような場所にあるカニマン御嶽。村の人々の拝所の一つです。

なぜか懐かしく、浦添グスクに覚える哀愁が漂っているような、そんな島添大里グスクでした。

******************************
NPO法人 うらおそい歴史ガイド友の会
  (浦添グスク・ようどれ館内)
TEL・FAX:098-874-9345
e-mail: urasoerekisi@nirai.ne.jp
開館時間:9~17時
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
******************************



同じカテゴリー(研修・養成)の記事
ガイド研修中
ガイド研修中(2024-07-24 13:59)


Posted by 特定非営利活動(NPO)法人うらおそい歴史ガイド友の会 at 16:16│Comments(2)研修・養成
この記事へのコメント
島添大里グスクとは三山時代(14世紀から15世紀前半)、本島最南端を領域とした承察度、汪英紫、汪応祖、達勃期、他魯毎と5代にわたる山南王が君臨していたグスクです→これほんとですか?島添大里グスクの初代城主は英祖王の5男であり、その後何代後に汪英紫がここを治め巴志が1402年に彼を討ち、中山、北山を滅ぼし、1429年山南王他魯毎を討ち、琉球国を打ち建てた。他魯毎根拠地は島尻大里グスクすなわち高嶺グスクでは?山南の歴史は複雑難解。承察度、汪英紫、汪応祖、達勃期、他魯毎と5代にわたる山南王が君臨していたグスクですは怪しい見解。山本正昭先生に確認し訂正方を本ブログ公開希望。上記について会員から疑義がなかったなら貴会のプロとしての資質を疑わざるを得ません。繰り返しになりますが是非公開してください。公開が確認できなければ貴会の事務局長宛に文書送付いたします。今後、貴会が研修、研鑽を積まれスキルアップしお客様の琉球歴史正しいの理解に資する一助なることを願っています。早々
Posted by 大里正史 at 2025年04月08日 21:09
追伸 汪英紫は南山王になったことことはない。但し朝貢貿易はやった。これは南山史のイロハのイロハじやないですか?ブログに掲載する場合は吟味、検討してもらいたいものです、誤った情報を読者に与えかねない。又5代というのも理解に苦しむ。貴会のブログ言説は、私の師事した戦線の説明と大きな乖離があるので、その出典なり根拠を示していただきたい。後学のため是非お願いいたします。
Posted by 大里正史 at 2025年04月10日 10:35
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。